なぜ真田家の家紋は6枚のお金を並べる?

NHK大河ドラマ『真田丸』をはじめ、歴史ファンやゲームファンからも絶大な人気を誇る戦国時代の名将・真田幸村(信繁)
江戸幕府が豊臣家を滅ぼした大坂の陣において、大坂城の弱点とされる南側に砦「真田丸」を築き、圧倒的な兵力差を誇る徳川軍を相手に見事な攻防戦を繰り広げた「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」として知られています。
そんな真田幸村の象徴といえば、穴の開いた銭が6枚並んだ独特の家紋「六文銭(ろくもんせん)」です。植物や動物をモチーフにした家紋が多い中、なぜ「お金(銭)」を家紋にしたのでしょうか?今回は六文銭の由来と、そこに込められた覚悟の意味について詳しく解説します!

1. 真田幸村と「六文銭」の由来とは?2つの有名な説

真田幸村や真田家はどうして「六文銭」を旗印や家紋として使うようになったのでしょうか。その成り立ちには主に2つの有名な説が存在します。

【説1】少年・幸村の知恵と夜襲(永楽通宝の奇策)

1つ目は、幸村がまだ幼少期だった頃の逸話です。父・真田昌幸が小田原北条氏の大軍に追い詰められた際、賢かった幸村は敵陣の重臣の家紋であった「永楽通宝(えいらくつうほう)」を描いた旗を味方に持たせ、夜襲を仕掛けさせました。

奇襲を受けた北条軍は「味方の重臣が反乱を起こした!」と大混乱に陥り、その隙を突いて昌幸らは見事に窮地を脱しました。昌幸はこの幸村の見事な手柄を大いに褒めたたえ、以後「銭の紋」を真田の旗印にするよう命じたという伝説的エピソードです。

【説2】本家・滋野氏(海野氏)からの継承説

もう1つ、歴史学的に最も有力とされているのが「ルーツである海野氏(うんのし)からの継承説」です。

信濃国小県郡海野荘(現在の長野県東御市本海野)を本拠地としていた古代の名門・滋野氏の流れを汲む海野家が、すでに六文銭(連銭紋)を家紋として使用していました。滋野一族の末裔である真田家も、この伝統的な六文銭を自らの家紋として受け継いだという説です。

2. 六文銭の意味:「三途の川の渡し賃」と不惜身命の覚悟

穴あき銭が6個並んだこのデザインには、深い仏教的な意味が込められています。

仏教の信仰において、人が亡くなってあの世へ旅立つ際、途中に存在する「三途の川(さんずのかわ)」を渡る船賃(冥銭)として、棺の中に六文の銭を入れる風習がありました。

【「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」の精神】

甲冑や旗印に「三途の川の渡し賃=六文銭」を掲げるということは、「いつ戦場で命を落としても構わない。いつでも三途の川を渡る準備は出来ている」という決死の覚悟を表しています。
仏教用語で言う「不惜身命(身や命を惜しまないこと)」の精神であり、死を恐れずに正義や主君のために戦うという強烈な意気込みを敵味方にアピールしていたのです。

ちなみに、海外(中国・台湾・ベトナムなど)でも「冥銭(紙銭)」として天国へ渡るための模擬紙幣を燃やす文化がありますが、真田家の六文銭は単なる死への準備ではなく、**「死を覚悟するからこそ、今この瞬間の生を強烈に輝かせる」**というコインの表裏のような表裏一体の哲学を感じさせます。

「定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候」(真田幸村)

明日の命もわからない戦乱の世を生きた幸村の言葉には、死と隣り合わせで生きた武士のリアルな覚悟が宿っています。

3. コイン・メダル製造メーカーの視点:和同開珎から六文銭へ

私たち株式会社SAKAMOTO(東京コイン製作所)は、現代のオリジナル記念メダルや金属コインの製造を手がけるメーカーですが、日本の古銭や通貨の歴史にも深い敬意を抱いています。

かつての永楽通宝や寛永通宝、和同開珎といった金属銭貨は、単なる流通貨幣としての機能だけでなく、技術の結晶であり、真田家のように「一族の覚悟やアイデンティティ(家紋)」としても刻印されてきました。

金属に精密な型を刻み、時代を超えて残る記念品をつくるという思想は、現代のオリジナルコイン製造にもそのまま息づいています。

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