オリジナルの勲章メダルの製作

社員表彰や周年記念のお祝いにオリジナルの勲章メダルを製作いたします。コイン部分をオリジナルで製造することができますので、自由にデザインができ、材質を純金や純銀に変更することもできます。

 

価格について

大・中・小 3種類の勲章の価格についてです。メダル部分はそのまま既製のものを利用可能です。

勲章TYPE A,B,Cのご注文は問い合わせフォーマットからお願いします。製作・準備のために約3週間の納期がかかります。(コイン部分をオリジナル にする場合は、コインの製造期間が約3−4週間かかります。)

そのほかのオリジナル の勲章製作についてもお気軽におとい

 

型番勲章 TYPE-A
仕様
  • 勲章部分:丹銅七宝
  • のせこメダル:真鍮(金製や銀製も可能)
  • 正絹リボン、レザーケース付き
価格(税抜)¥18,500 +メダル製作代
その他
  • のせこ部分は既製品をそのまま使うことが可能です。
  • オプションでケースの箔押しが可能です。

 

型番勲章 TYPE-B
仕様
  • 勲章部分:丹銅七宝
  • のせこメダル:真鍮(金製や銀製も可能)
  • 正絹リボン、レザーケース付き
価格(税抜)¥13,500 +メダル製作代
その他
  • のせこ部分は既製品をそのまま使うことが可能です。
  • オプションでケースの箔押しが可能です。

 

型番勲章 TYPE-C
仕様
  • 勲章部分:丹銅七宝
  • のせこメダル:真鍮(金製や銀製も可能)
  • 正絹リボン、プラケース付き
価格(税抜)¥5,000+メダル製作代
その他
  • のせこ部分は既製品をそのまま使うことが可能です。

 

製作実績

SAKAMOTOでリリースしている純銀製のNEMコインでオリジナルの勲章をつくらせていただきました。

純銀NEM勲章「NEMBLEM」

オリジナルの製作をご検討でしたらお気軽にお問い合わせください!

 

関連ブログ

 


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現代の22種類の日本勲章

職人技に支えられた日本の勲章は現在22種類あります。デザインもさることながら、いくつもの工程を経てつくられる勲章は、最高級の工芸品として高い評価を得ています。デザインと工程の細かい紹介、さらには勲章と褒章の違いまでをわかりやすく解説します。

 

日本の勲章の種類とデザイン

さて、早いもので「勲章」のコラムも最終回となりました。

 

 

今回は現在ある勲章の種類とその繊細な勲章のデザインにふれていきましょう。

日本の勲章は日本ならではの伝統的な技法でつくられています。おどろくほど正確で繊細な職人技術に支えられているのです。普段は知ることのできない勲章の製造工程を細部にわたってご紹介します。

 

勲章の最高位にあるのは「大勲位菊花章」

前回までのコラムでお話ししてきたように、基本的には国にどれほど尽くしたかにより与えられるのが勲章です。

その功労が大きければ大きいほどより上位の勲章がもらえるということになります。

勲章の最高位にあるのは大勲位菊花章。大勲位菊花章には大勲位菊花章頸飾大勲位菊花大綬章の2つの種類があります。

大勲位菊花章頸飾(wikipediaから)

大勲位菊花章頸飾は、文字通り首飾り形式になっています。

首飾りの形をとる勲章はこれのみです。繊細な中にも気品と高級感あふれるつくりは、勲章の最高位に君臨するだけの十分な存在感があります。

頸飾部分の飾りは“菊花”のにあらわされるよう、菊の花とその葉がデザインされています。

菊の花は、特に第二次世界大戦以前に日本を象徴する花として用いられることがあります。ルースベネディクトは『菊と刀』で、日本人の精神性を菊の花と重ね合わせて描いています。

菊が日本で栽培され始めたのは意外にも江戸時代になってからのこと。今のように大きくて立派な菊の花をつくり上げたのは江戸の庶民でした。

大勲位菊花章頸飾も大勲位菊花大綬章も勲章部分のデザインは同じです。

国旗の日の丸を真ん中に、そこから外側に向かって白い光線が配置。これは旭光といって勢いが盛んだという意味を持つ「旭日昇天」を示しています。

大勲位菊花大綬章にもやはり菊の花は外せません。

旭光の周囲にあしらわれているのは菊の花と菊の葉、リボン部分と勲章の間にあるのもまた菊の花です。

菊紋は武家や店舗の商標として使用されることも多く、デザインの種類も豊富。このうち勲章に使用される菊紋は八重桜をデザインした十六八重表菊で、天皇や皇族にのみ使うことが許される紋章なのです。

家紋をデザインするなら知るべき3つの家紋

 

大勲位菊花章の次の位といえば桐花大綬章です。

勲章の中央部分は菊花賞にならい旭光を配置。その周囲を囲うのは桐の花です。

リボンと勲章部分をつなぐところにあしらわれているのは桐の花の葉部分。これ以下の旭日章の勲章は桐の花と旭光の組み合わせが基本です。もちろん、それぞれの大きさや色などは異なりますが。

これ以外にも中央部分に鏡をデザインした瑞宝章や、女性だけに与えられる宝冠章などがあります。現在、勲章の種類は22種類。ここで全て紹介することは出来ませんが、興味がある方は以下でご覧ください。どれをとっても美しい色使いと高度なデザインに魅了されるばかり。

 

勲章と褒章の違いは?

功績のある人を表彰するものとして、勲章の他に褒章があります。

2つの違いは、勲章は一生涯を通じて国家に尽くした人物に与えられ、褒章は一時の業績に対して与えられること。

“一時の業績”なので、同じ褒章を何度も授与されることもあり得ます。

褒章の種類は全部で6つ。

紅綬褒章、緑綬褒章、黄綬褒章、紫綬褒章、藍綬褒章、紺綬褒章です。

紅綬褒章は人命救助に尽力した者

緑綬褒章は社会奉仕

黄綬褒章は民衆の模範となる者

紫綬褒章は学術・芸術分野で活躍する者

藍綬褒章は公共の事務に従事した者

紺綬褒章は私財を寄付した者へ与えられます。

 

とはいっても、これだけの基準ではかなりあいまいだという感が否めません。勲章や褒章といった類は“国が国民に与える”という性質上、与える側にかなり広い裁量が与えられているのでしょう。

近年では体操の内村選手に紫綬褒章が与えられたと話題になりましたね。年齢が若くても業績があれば選ばれる可能性があるというのは褒章ならではといったところ。

 

勲章の製造方法、10工程。独特の技法。

「独立行政法人造幣局」は、明治20年より日本の勲章づくりを一手に担い続けています。

関わる職人は現在、150人ほどだといいます。

製造工程は以下の10工程。

  1. デザインをもとに、原版をつくる。
  2. 原版を機械にかけ、鋼に彫った極印をつくる。
  3. 極印をプレス機で型抜きする。
  4. 数種類のヤスリをかけて、周辺を滑らかにする。
  5. 必要に応じて糸鋸で切り抜く作業を行う。
  6. 色付け作業に入る。七宝の盛り付け。
  7. 七宝の釉薬を塗って電気炉で焼き付ける作業を5回ほど繰り返す。
  8. 表面を磨く。
  9. 金メッキを施す。
  10. 組み立て作業を行い、できあがり。

 

いくつもの工程を経てつくられる日本の勲章は、海外からも高い評価を得ています。評価を支えているのは、やはり何と言っても日本の職人の腕の良さ。なかでも菊花賞頸飾の首飾り部分と文化勲章に施してある七宝は、熟練した職人しかなし得ない匠の技です。

製作期間は数か月といったケースもざらにあるようで、勲章の製作には並々ならぬ職人の腕と細心の注意を払って取り組む姿勢がうかがえます。

高い技術と精神性が生み出す勲章は、まさに日本独自の芸術品というほかありません。

 

→ 次回 「オリジナルの勲章で社員表彰しませんか?

オリジナルの勲章で表彰しよう_アートボード 1

 

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日本の勲章の起源に迫る。秘密は七宝にあり?

勲章の起源に迫る。薩摩藩VS幕府?

古代・現代を問わず、勲章なしでやっていけた共和国があるというなら教えてもらいたい。諸君はこれを玩具だと言うかもしれないが、さて人間を動かすのはそうした玩具なのだ

市民の平等という原則への攻撃と見た者もいたが、第一統領ナポレオン・ボナパルトは国務院でこの制度をこう正当化していた

 

勲章コラムの2回目にあたる今回は、日本の勲章の歴史を中心にみていきましょう。

(前回の記事「レジオン・ドヌール勲章 〜日本勲章の手本とされた制度〜」)

 

日本で初めて勲章が与えられたのは明治8年12月30日と31日とされています。

ただしそれが「勲章」と呼ばれるようになったのは翌年、明治9年のことです。

その後、勲位菊花大褒章や大勲位菊花章、明治20年以降には宝冠章、瑞宝章などが新たに定められたのです。

それまでなかった女性のための勲章ができたのも明治20年以降のことでした。

現在の勲章は全部で22種類。

それらは、菊花章、桐花章、旭日章、瑞宝章、宝冠章、文化勲章に分けられます。

 

大勲位菊花章頸飾 勲章 記念 メダル コイン
大勲位菊花章頸飾 (wikipediaより)

 

日本の勲章の始まり

時は幕末。

討幕運動が高まりを見せ、大政奉還が目前に迫ったまさにそのころ、パリで開かれたのはパリ万国博覧会でした。

はじめて参加した日本からは、徳川慶喜の弟、松平昭武が列席しています。

出展したのは江戸幕府、薩摩藩、長州藩。そこでは出展作品である「勲章」を巡り、当時の国内情勢さながらの政治的で熾烈な戦いが繰り広げられました。ひとつの映画にもなりそうな他国をも巻き込んだ頭脳戦の一部をここで紹介します。

 

パリ万博 日本は勲章作品を出展

 

まず、タイトルのごとく薩摩藩VS幕府という図式。

ここに強豪、長州藩の名前があがらないことに違和感を覚えます。後に明治維新を牽引することとなる彼らが出遅れた理由、それは国内政治に足を引っ張られていたためと考えられます。

当時は幕府による長州征伐に苦しめられていました。対応に追われる長州藩はパリ万博まで手が回らなかったのでしょう。

一方、薩摩藩が幕府に台頭できたのには、ベルギーに城を所有するフランス人のコルト・モンブラン伯爵の存在がありました。

モンブランは日本から利益を得ようと幕府に接触を試みるも幕府の財政難によりすげなく断られてしまいます。

以降、五代友厚ら薩摩藩の青年たちとパリ万博に向けての出展を模索しはじめます。

やはり良いものをつくるにはそれなりの資金が必要のようです。

薩摩藩は“モンブラン”という資金源を早いうちから確保していたのです。

薩摩藩台頭の理由にはもう一つあります。

それは、藩という小さい単位で計画を進めていたため情報の把握が早く、俊敏に行動できたということです。

比べて幕府は大きくなりすぎました。

そうでなくとも国内は尊王攘夷と倒幕運動で揺れていましたから勲章の製作に心血を注ぐ間もなかったはずです。

「少数精鋭」を地で行く薩摩藩は幕府をも成し遂げなかった日本の勲章の原型を見事に作り上げたといえます。

 

勲章の鍵は七宝にあり?

薩摩藩がつくった勲章は「薩摩琉球国勲章」と呼ばれます。

薩摩琉球国として独立国家としているところが、当時はまだ一つの藩に過ぎない故、国家に忠義を尽くさざるを得ない状況が見て取れます。同時に、それでも一つの国家と名乗りを上げたことに薩摩藩の気概を感じるのは私だけでしょうか。

事実は定かではありませんが、薩摩琉球国勲章はフランスで作られたものではないかともいわれています。

その根拠は、勲章の中央にある七宝部分です。

当時、日本で七宝を作れるのは幕府側の人間であった平田彦四郎ただ一人でした。

ここにもやはり構想段階から薩摩藩とつながりのあったモンブランの存在が見え隠れしています。

山動く時の前には決まっていくつかの小さな事象があるものです。薩摩藩と幕府の勲章を通した一連の出来事はまさに明治維新前のそれにあたるのではないでしょうか。

 

前回の記事へ → 「レジオン・ドヌール勲章 〜日本勲章の手本とされた制度〜

 


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前回の記事

日本を代表する3つの家紋とは?

世界の金の量はプール3杯分?

 

フランス レジオン・ドヌール勲章 ~日本の勲章制度の手本とされた制度とは~

「古代・現代を問わず、勲章なしでやっていけた共和国があるというなら教えてもらいたい。諸君はこれを玩具だと言うかもしれないが、さて人間を動かすのはそうした玩具なのだ」

市民の平等という原則への攻撃と見た者もいたが、第一統領ナポレオン・ボナパルトは国務院でこの制度をこう正当化していた

 

みなさんは勲章に対してどんなイメージを持っていますか?

ありがたい賞、文化勲章、黄綬褒章、偉い人がもらえる賞など肯定的な見方の一方で、「国からもらう勲章なんて…」と、少し否定的な態度の人もいるかもしれません。

勲章に「国」のイメージが付きまとうのも無理はありません。

勲章は国家や元首の存在なしには成り立たないものです。

お山の大将が配下の者に褒美を出す。勲章とは本来そういう性質を持つものです。

そうはいっても、実際に勲章・褒章のメダルをもらえるとなれと、ほとんどの人は喜ぶはず。それは否定的な人でさえも…です。

放蕩息子が○○勲章をもらえばその親は手のひらを返して、息子を誇りに思うなどと口にすることでしょう。

勲章には人を喜ばせるだけの力があるということです。勲章の権威が薄れつつある現代でもなおその力は失われていません。

勲章の力を支える2本の柱は“制度”と“品質”です。勲章が勲章たるゆえんを定める制度があり、さらには最高のデザインと匠の技でつくる高い品質があるからこその“力”なのです。

ここでは3回にわけて、勲章にスポットライトを当てていきます。

その1回目となる今回は、日本の勲章制度の元となった、フランス・レジョンドヌール勲章の制度を見ていきましょう。

 

レジオン・ドヌールの制度は意外とシンプル?

レジオン・ドヌール勲章は今年、北野武氏がフランス政府から授与されたことで日本でも話題になりましたね。

正直なところ、それっていったい何?どれだけすごいの?と思った人は少なくないでしょう。

レジョンドヌールはフランンスの最高勲章

1802年にナポレオンが作ってから現在まで長い歴史を持つ権威あるフランス最高の勲章です。

国の政治が変わっても勲章という制度が廃止されることなく、ここまで長く続いているのは驚くべきことだと思いませんか?

勲章に限らず、いわゆる“褒美”の価値を保ち続けるのは簡単ではありません。

レジョンドヌールがそれを成し得ている秘訣は、制度にあります。レジョンドヌールに関する法律はいくつかありますが、基本的なところではナポレオンが定めたものと変わっていません。

それはいたってシンプルで、「国家への奉仕によって与えられること」と「定員が決められていること」です。

国家が国民に与えるのがレジョンドヌールの基本形なので、その国家に属している人でなければもらえないということになります。ここで1つ疑問がわいてきますね。北野さんはどうしてもらえたのでしょうか?

1804年に特例昇級という新たな規定が付け加えられたことにより、外国人にも勲章を与えることができるようになったのです。しかしフランス人と外国人に与える勲章の中身は全く同じというわけではありません。

細かすぎるので詳しくはふれませんが、興味がある人は調べてみると面白いですよ。

 

レジオンドヌール勲章メダル
第二帝政期のレジオンドヌール勲章頸飾

レジオンドヌール勲章(wiki)

また、レジョンドヌールは国家に貢献した人でなければ与えられません。国家に貢献しているというなら、ほとんどの人が当てはまるように思います。一般庶民の中にも国家のために働いている人がたくさんいるじゃないかと。

ここでいう貢献は、自己犠牲を含みます。自分の利益をなげうって国に尽くす人でなければその資格はないとみなされます。

レジョンドヌールの定員数は、法律に規定されていて、それを守らないことは許されません。厳格なまでに定員数を守り続ける理由は、インフレ化を防ぐためです。

レジョンドヌールが街全体に配られるとしたら、ありがたみは薄れますよね。めったなことではもらえないモノだからこそ、褒美には価値が生まれるのです。

勲章を見たことがありますか?

勲章とメダルはデザイン・形状が少し違います。メダルは基本的には丸いものが圧倒的に多いですが、勲章はレジオンドヌールのように先端がとがっていたり、月桂樹がついていたり、よりバリエーション豊かなデザインで装飾も豪華です。勲章バッジもあります。勲章のデザインについては後ほどのコラムで紹介したいとおもいます。

 

現代のレジョンドヌール?

レジョンドヌールに代表される勲章制度は、現代に生きる私たちには馴染みの薄いものと思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。勲章という名こそついていないものの、私たちのまわりにはそれに似た制度が存在しています。

例えば、企業の表彰制度です。最近では、社員を表彰したり、メダルを与えたりするシステムをとりいれる会社が増えています。そこでは、会社が国家、社員が国民に当たり、会社に貢献した人物に褒美を与えるという図式が成り立っています。

表彰制度のメリットは、社員(国民)のモチベーションアップにつながることです。金一封やあまりほしくない景品をもらうよりも勲章・メダルが授与されることは企業で戦うビジネスパーソンの誇りになりますし、評価されたんだということを実感できます。

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所属する社会から認められ、高い評価を受けた人は充実感や幸福を感じると同時にさらなる自己犠牲を惜しみません。ある意味、残酷とも思われる制度は、双方にとって“ラッキー”なシステムなのです。

レジョンドヌールやそれに似た多くの制度は、人の心理をうまくついた人心掌握術という側面を持っています。それにいちはやく気づき、制度として確立させることで統治に役立てたのはナポレオンでした。彼の非凡な才能には驚かされますね。

さて一方、日本で勲章制度が整ったのは明治時代に入ってからのことでした。次回はレジョンドヌールを参考に日本の勲章を作り上げるところのお話です。“力”を支える柱のもう1つ、品質を巡って、政府と薩摩藩が攻防を繰り広げます。

2回目もお楽しみに!

勲章の起源に迫る。薩摩藩VS幕府の熾烈な争いとは?」に続く

 


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